Break Dance(ブレイクダンス)とは、頭で回ったり、背中で回ったりするアクロバッティクなダンスのことです。
若い人を中心に競技人口が増え続けており、2024年のパリオリンピックの正式種目として採用されたり、RedBullやPUMA、NIKEなどがブレイクダンサーのスポンサーをしたり、注目度が増している競技です。
今回は「HioHopダンスとどう違うの?」「ブレイキンって言われるけど違いは何なの?」などなど、ブレイクダンスにまつわる疑問を解説します。
Break Dance(ブレイクダンス)とは?

Break Danceとは頭や背中でくるくる回ったり、アクロバティックな要素を取り入れたダンスのことです。
近年テレビなどで報じられる際は「ブレイキン」と呼ばれることが多いですが、全く同じ意味です。
Breaking'(ブレイキン)、Break(ブレイク)、Break Dance(ブレイクダンス)呼び方はいくつかありますが、違いはないので好きに呼んでいただいてOKかなと思います。
Break Danceを説明するときに大事なのがHipHopです。
HipHopは知っているよって人も多いですが、ちゃんと説明できる人は少ないはず。
HipHopとは
- DJ...音楽
- B-boying...ブレイクダンス
- Graffty...グラフィックアート
- MC...ラップ
HipHopとは、上記4つの要素からなる文化のことです。 歌でも踊りでもなく、文化なのです。
だから厳密にいうとHipHop Dance=Break Danceのことなのです。
しかし、時代と共に解釈が変わり、HipHop DanceはEXILEやDA PUMPが踊るような立って踊るダンス、 Break Danceはフロアーを中心にぐるぐる回る激しいダンスと分けて認知されるようになりました。
Break Danceのブレイクは休憩の意味!?
激しい踊りなのでBreak Danceは『壊すダンス・壊れるダンス』と思っている方が多いですが、実はBreakは壊れるの意味ではなく、休憩・間奏の意味です。
1970年台のニューヨークブロンクス地区でブレイクダンスは生まれるのですが、その頃DJとして活躍していたクールハークという人物が歴史的な発見をします。
DJプレーをしていたクールハークは、観客が歌のない間奏部分(インストゥルメンタル)で盛り上がっていることに気付きます。

今でもその名残があるけど、歌手がサビの後の間奏で踊りが激しくなったりするよね!
そのことに気付いたクールハークは、ターンテーブルを2つ用意し、音楽の間奏部分だけを流し続けました。
すると観客は大盛り上がり、クールハークは瞬く間に人気DJとなりました。
当時は基本的にターンテーブルは1つで演奏されていて、次の曲がかかるまではDJがMCをして間を繋いでいたんだ!
クールハークが現在の2ターンテーブルのDJスタイルを確立したんだ!(詳細はDJの歴史でCheck!)
クールハークがプレイしている音楽は間奏ばかりを流していたので「Break Beats」と呼ばれるようになり(間奏は英語でBreakです)
そこで踊る人をBreak Boy(B-boy)と呼ぶようになり、B-boyが踊るダンスをBreak Danceと呼ぶようになりました。
Break Dance(ブレイクダンス)の歴史

ブレイクダンスは1970年代のNYサウスブロンクス地区で誕生します。1970年代のNYは財政悪化の影響で、治安が悪く世界最恐の街として荒廃の一途を辿っていました。その中でも、特に酷かったのが黒人の多く住んでいたサウスブロンクス地区です。
ドラッグの蔓延、街中にはアル中と薬中が溢れ、暴力、殺人、放火が絶えず、そんな状況でも警察は動かず「行政から見捨てられた街」とも言われていました。黒人たちは公民権運動(市民権を得るために戦った運動)後も差別が続き、荒んだ生活を余儀なくされていました。
そんな状況を見兼ねたアフリカ・バンバータが『暴力ではなくダンスで白黒つけよう』と提唱し、若者のエネルギーを暴力からダンスへ転換させ、Break danceを発展させました。
アフリカバンバータはHipHopのゴットファーザーと呼ばれる、重鎮
Break Danceの基本はバトル
前述したように、Break Dance(ブレイクダンス)は、暴力の変わりにダンスで決着をつけることから生まれています。そのためBreak Danceは他のストリートダンスとは毛色が違い、showとして魅せるよりもバトルで戦うという文化を形成してきました。
相手よりもオーディエンスを沸かすことで勝敗を決めていたのがBreak Danceで、それは今も変わりません。
また、Break Dance の衣装にも様々な文化が隠れています。
ダボダボの洋服を着ている理由は諸説ありますが、オーバーサイズ文化が関わっています。
Break DanceやHipHopは貧しい黒人が自己表現として創り上げた、いわゆる『ブラックカルチャー』です。洋服を頻繁に購入するお金がなかった彼らは、子供の頃から大きめのサイズの洋服を親から与えられていました。
これがダボダボの洋服を着る理由です。
また、ダボダボのズボンを片足だけを捲り上げるのもB -boyの特徴です。

これはナイフや銃を仕込んでいないという意思表示の現れで、ダンスで決着をつけようという文化を尊重しているファッションなのです。
YouTubeのひいらぎ屋さんって方が解説しています。

全てにちゃんと意味があって、歴史を学ぶのは楽しいね!
Break Dance(ブレイクダンス)の4つの構成要素

Break Danceは基本的に4つの構成要素から成り立っています。
Break Dance
- Toprock(トップロック)→ぐるぐる回る前の立って踊る部分で相手を挑発したりする
- Footwork(フットワーク)→床で足を捌いたり動かしたりする動き
- Freeze(フリーズ)→逆立ちの状態や片手で動きを止めるキメの技
- Power Move(パワームーブ)→頭や背中で回るムーブ




動画の方がわかりやすいかもしれません。
トップロック→フットワーク→パワームーブ→フリーズという形で締めくくります。
これらの4つの要素を音楽に合わせて踊るのがBreak Danceです。
バトルの基本的なルール
簡単にバトルのルールをご紹介しておきます。
- DJが即興でかけた音楽で踊る
- 1曲で交互に踊り、合計3曲(3ムーブ)で勝敗を決める
- ただ踊るだけでなく、音楽にあっているか、オリジナル性があるかなどが採点基準
すごくざっくり言うとこんな感じです。(振り付けではなく即興ってのがポイント)
ダンステクニックはもちろん、音楽の知識、会場の雰囲気などを汲み取って自分を表現しなければならず、高度なテクニックが必要となります。
もっと詳しく知りたい方は、下記を参照してみてください。
Break Danceの歴史で欠かせないチーム
そんなNYで伝説的な2つのBreak Dance チームが誕生します。
それが、Rock Steady Crew(ロックステディークルー)とNew York City Breakers(ニューヨークシティーブレイカーズ)です。
Rock Steady Crewは1977年に結成され、何と言っても世界にBreak Dance 旋風を巻き起こした映画『フラッシュダンス』の出演者でもあります。
1983年に公開されたフラッシュダンスのたった数分のブレイクダンスシーンが世界中のダンサーに衝撃を与え、ブレイクダンスが一気に世界に広まりました。
一方のNew York City Breakersも1983年に公開された映画『ビートストリート』に出演し宿敵Rock Steady Crewとバトルを繰り広げ世界に大きな衝撃を与えます。
また個人的に印象に残っているのが、当時の大統領ロナルドレーガンの前でパフォーマンスを行い、ホワイトハウスに招かれたということです。
1985年頃の出来事と記憶しているのですが、ストリートダンサーは世間から忌み嫌われていたギャング集団で、社会的には底辺と言われていた人たちです。
しかしNewYorkCity Breakersはそのレッテルを見事に払拭し世界最高峰の舞台でBreak Danceを披露したのです。
いつの世も時代を変えるのは若い力なのだと証明した伝説のshowとなりました。

日本でBreak Danceが広まった理由

日本でBreak Danceが広まった理由も世界と同じで1983年公開の映画『フラッシュダンス』です。
当時の日本では既に福岡でBeBopCrewが活動しておりBreakin'は輸入されていたのですが、世間一般に広く認知はされてはいませんでした。
そして同1983年Rock Steady Crewがツアーで日本に来日し、そこで日本人として初めてコンタクトを取ったのがCRAZY-Aと呼ばれるダンサーです。
彼は日本で最初にB-boyを名乗った人物でHipHop界の重鎮、ROCK STEADY CREW JAPANのリーダーとし日本でのBreak Danceの普及に尽力した人です。
翌1984年に風見しんごさんの『涙のtake a chance』でBreak Danecがお茶の間にも広く知られるようになります。(CRAZY-Aはバックダンサーでした)
風見しんごさんが背中でまわるウィンドミルをテレビで披露し、一気にBreak Danceが認知されるようになりました。
その後、日本各地でB-boyが誕生し、B系ファッションが流行し一時代を築くことになります。
1988年にスタートした天才・たけしの元気が出るテレビ!!のコーナーで『ダンス甲子園』がスタートし高校生に絶大な人気を博し、1989年には『DADA L.M.D.』という深夜番組が始まり、この番組からL.M.D.というダンスチームが生まれ後のZOOやJ SOUL BROTHERSに発展していきます。
元EXILEのHIROさんやTRFヴォーカルのYU-KIさんもここから羽ばたいています。
ここが日本での第1次ブームです。
その後2004年にはDA PUMPがMCの『少年チャンプル』がスタートしBreaking'の2次ブームを席巻します。
Break Danceが上手な有名人

岡村隆史
ご存知の方も多かもしれませんが、彼は関西でNo.1のダンスチーム、ANGEL DUST BREAKERS(エンジェルダストブレイカーズ)の一員でした。
本物のアンダーグラウンド出身のダンサーで、めちゃくちゃかっこいいですね!
風見慎吾
おそらく日本のお茶の間に初めてブレイクダンスを披露したのが風見慎吾さんです。
ブレイキンも去ることながら、アクロバットが非常に上手で身体能力の高さが伺えます。
佐藤健
長年本格的に踊っていたんだなぁ〜と分かる動画です。
佐藤さんはガチ勢で、本当に上手です。
Break Danceでよく使われる楽曲

I Know You Got Soul/Boby Byrd
ジェームズブラウンの右腕として活躍したボビーバードの楽曲です。
渋くてかっこいいです。(再生ボタンを押せばそのまま聞くことができます↓↓)
Apache/Incredible Bongo Band
Apacheはブレイクビーツの超代表格で、どの世代にも支持されている名曲です。
ダンサーであれば一度は聞いたことがあるはず!(再生ボタンを押せばそのまま聞くことができます↓↓)
It's Just Begun/The Jimmy Castor Bunch
映画フラッシュダンスのワンシーンで使われた楽曲で、世界共通の人気曲です。
もっと詳しく知りたい方は、下記をご参考にしてください。
実際にBreak Danceを動画で見てみる
今と昔の違いが分かる2つのShowをピックアップしました。
1つ目はBreak Danceの始祖NewYorkCity Breakersのパフォーマンスです。
彼らのトレードマーク全身タイツで個々にパフォーマンスを行うオールドスタイルです。
2つ目は近代のBreak Danceで世界3連覇を成し遂げた日本の The floorriorzというチームのshowです。
Break Danceの創始者と現代の世界覇者の違いがよくわかる動画です。
是非チェックしてみてください。
以上が、ブレイクダンスについての解説でした!
ブレイクダンス人口が増えるといいなぁ〜
それではSee you next time!!