Break Dance(ブレイクダンス)とは、頭で回ったり、背中で回ったりするアクロバッティクなダンスのことです。
激しい踊りなのでBreak Danceは『壊すダンス・壊れるダンス』と思っている方が多いですが、実はBreakは壊れるの意味ではなく、休憩・間奏の意味です。
時は遡り、1970年代のアメリカニューヨークのブロンクス地区、DJクール・ハーク(Kool・Herc)という人が歴史的発見と発明をします。
当時ニューヨークでは、ブロックパーティーと呼ばれる道端で音楽をかけて踊ったりすることが日常的に行われていました。
いつものようにクールハークがDJをしていたら、歌のパートよりも間奏の時に踊りが激しくなったり盛り上がっていること気付きます。
今でもその名残があるけど、EXILEやBTSも歌のパートよりも間奏で踊りが激しくなったりするよね!
それに気付いたDJクール・ハークは『ターンテーブルを1つだけではなくもう1つ持ってきて、間奏ばかりを繋いで流したらもっと盛り上がるんじゃないか』と考えます。
今では2ターンテーブルは当たり前ですが当時は1つのターンテーブルで音楽を流していました。
クールハークは2つのターンテーブルを繋ぎ、曲の間奏だけを次々と流します。(この技術はメリーゴーランドと呼ばれます)
すると会場は大盛り上がり。
彼のDJは瞬く間に有名になり、間奏ばかり流すのでその音楽を『Break Beats』(ブレイクビーツ)と呼ぶようになりました。(英語で間奏はBreakなので)
そしてBreak Beatsで踊るダンスをブレイクダンスと呼び、そこで踊る人をBreak Boy→ B-boyと呼んだのです。
・DJクールハーク→ブレイクビーツを発明
・DJグランドマスター・フラッシュ→スクラッチを始めとするテクニックの普及
・アフリカ・バンバータ→HipHopの名付け親
※この3人は歴史上最も偉大な3大DJと言われています
今回はBreak Danceの解説と、その歴史について詳しく記載するよ!
もくじ
Break Dance(ブレイクダンス)とは?

Break Danceを説明するときに切り離せないのがHipHopです。
HipHopは知っているよって人も多いですが、ちゃんと説明できる人は少ないはずです。
HipHopとは
- DJ...音楽
- B-boying...ダンス
- Graffty...グラフィックアート
- MC...ラップ
HipHopとは、上記4つの要素からなる文化のことです。
歌でも踊りでもなく、文化なのです。
だから厳密にいうとHipHop DanceはBreak Danceのことなのです。
しかし、時代と共に解釈が変わりHipHop DanceはEXILEやDA PUMPが踊るようなダンス、 Break Danceはぐるぐる回る激しいダンスと分けて認知されるようになりました。
Break Danceの構成要素
HipHopとBreak Danceについて理解したところで、Break Danceの構成要素を解説します。
Break Danceにも構成する4つの要素があります。
Break Dance
- Toprock(トップロック)→ぐるぐる回る前の立って踊る部分で相手を挑発したりする
- Footwork(フットワーク)→床で足を捌いたり動かしたりするムーブ
- Freeze(フリーズ)→逆立ちの状態や片手で動きを止めるキメの技
- Power Move(パワームーブ)→頭や背中で回るムーブ




公益社団法人日本ダンススポーツ連盟の画像をお借りしました。
写真で見る方がわかりやすいですね。
これらの要素を音楽に合わせて踊るのがBreak Danceです。
Break Danceはバトル文化である
Break Danceは1970年代にNYで生まれたダンスです。
当時のNYは非常に荒んでおり、ギャング抗争で毎日のように血が流れる治安の悪い街でした。
次章で詳しく解説しますが、そんな状況を悲観した世界3大DJのアフリカ・バンバータが、『暴力ではなくダンスで白黒つけよう』と提唱したことがBreak Danceが普及した理由の1つでもあります。
そのためBreak Danceは他のストリートダンスとは毛色が違い、showとして魅せるよりもバトルで戦うという文化を形成してきました。
Toprock(トップロック)と呼ばれる立ち踊りで相手を挑発し、Footwork(フットワーク)は誰よりもオリジナリティに長けた足技で相手を圧倒し、Power Move(パワームーブ)は相手よりも早いスピンで会場を盛り上げ、Freeze(フリーズ)で逆立ちや片手だけで体を支えてキメる。
相手よりもオーディエンスを沸かすことで勝敗を決めていたのがBreak Danceで、その根本にはバトルカルチャーがあるのです。
また、Break Dance の衣装にも様々な文化が隠れています。
ダボダボの洋服を着ている理由は諸説ありますが、オーバーサイズ文化が関わっていると私は解釈しています。
HipHopは貧しい黒人が自己表現として創り上げた、『ブラックカルチャー』です。
洋服を頻繁に購入するお金がなかった彼らは、子供の頃から大きめのサイズの洋服を親から与えられていました。
これがダボダボの洋服を着る理由です。
また、ダボダボのズボンを片足だけを捲り上げるのもB -boyの特徴です。

これはナイフや銃を仕込んでいないという意思表示の現れで、ダンスで決着をつけようという文化を尊重しているファッションなのです。
YouTubeのひいらぎ屋さんって方が解説しています。
Break Danceも他のストリートダンス同様に、当時の貧しい黒人たちが表現の場として開花させた文化なのです。
Break Dance(ブレイクダンス)の歴史

ブレイクダンスは1970年代のNYサウスブロンクス地区で誕生します。
1970年代のNYは財政悪化の影響で、治安が悪く世界最恐の街として荒廃の一途を辿っていました。
その中でも、特に酷かったのがサウスブロンクス地区です。
ドラッグが蔓延、街中にはアル中と薬中が溢れ、暴力、殺人、放火が絶えず、そんな状況でも警察は動かず「行政から見捨てられた街」とも言われていました。
特に黒人たちは公民権運動(市民権を得るために戦った運動)後も続く差別に耐えかねて、自分達を表現する方法を求めており、そんな中で生まれたカルチャーがHioHopでありBreak Danceだったのです。
当時カリスマだったアフリカ・バンバータが、『暴力ではなくダンスで白黒つけよう』と提唱し、若者の『暴力からダンスへのエネルギー転換』により瞬く間にBreak danceは発展していきます。
Break Danceの歴史で欠かせないチーム
そんなNYで伝説的な2つのBreak Dance チームが誕生します。
それが、Rock Steady Crew(ロックステディークルー)とNew York City Breakers(ニューヨークシティーブレイカーズ)です。
Rock Steady Crewは1977年に結成され、何と言っても世界にBreak Dance 旋風を巻き起こした映画『フラッシュダンス』の出演者でもあります。
1983年に公開されたフラッシュダンスのたった数分のシーンが世界に大きな衝撃を与え、今尚伝説として語り継がれています。
この映画がきっかけで全世界にB-boyが登場し、現在でも最も競技人口の多いダンスとなっています。(それゆえパリ五輪の正式競技としても採択されています)
ここでダンスバトルに少し触れておくと、基本的にDJが即興で音楽をかけて、ダンサーも即興で踊りオーディエンスをより沸かせた方の勝ちです。
即興ですので、ダンサーはダンステクニックはもちろん、音楽の知識、会場の雰囲気などを汲み取って自分を表現しなければならず、高度なテクニックが必要となります。
振りを創ってshowで魅せるよりも遥かに難しいのがダンスバトルです。
話を戻します。
一方のNew York City Breakersも1983年に公開された映画『ビートストリート』に出演し宿敵Rock Steady Crewとバトルを繰り広げ世界に大きな衝撃を与えます。
また個人的に印象に残っているのが、当時の大統領ロナルドレーガンの前でパフォーマンスを行い、ホワイトハウスに招かれたということです。
1985年頃の出来事と記憶しているのですが、ストリートダンサーは世間から忌み嫌われていたギャング集団で、社会的には底辺と言われていた人たちです。
しかしNewYorkCity Breakersはそのレッテルを見事に払拭し世界最高峰の舞台でBreak Danceを披露したのです。
いつの世も時代を変えるのは若い力なのだと証明した伝説のshowとなりました。

日本でBreak Danceが広まった理由

日本でBreak Danceが広まった理由も世界と同じで1983年公開の映画『フラッシュダンス』です。
当時の日本では既に福岡でBeBopCrewが活動しておりBreakin'は輸入はされていたのですが、世間一般に広く認知はされてはいませんでした。
そして同1983年Rock Steady Crewがツアーで日本に来日し、そこで日本人として初めてコンタクトを取ったのがCRAZY-Aと呼ばれるダンサーです。
彼は日本で最初にB-boyを名乗った人物でHipHop界の重鎮、ROCK STEADY CREW JAPANのリーダーとし日本でのBreak Danceの普及に尽力した人です。
翌1984年に風見しんごさんの『涙のtake a chance』でBreak Danecがお茶の間にも広く知られるようになります。(CRAZY-Aはバックダンサーでした)
風見しんごさんが背中でまわるウィンドミルをテレビで披露し、一気にBreak Dance人口が増えました。
その後、日本各地でB-boyが誕生し、B系ファッションが流行し一時代を築くことになります。
1988年にスタートした天才・たけしの元気が出るテレビ!!のコーナーで『ダンス甲子園』がスタートし高校生に絶大な人気を博し、1989年には『DADA L.M.D.』という深夜番組が始まり、この番組からL.M.D.というダンスチームが生まれ後のZOOやJ SOUL BROTHERSに発展していきます。
元EXILEのHIROさんやTRFヴォーカルのYU-KIさんもここから羽ばたいています。
ここが日本での第1次ブームです。
その後2004年にはDA PUMPがMCの『少年チャンプル』がスタートしBreaking'の2次ブームを席巻します。
日本での流行はこの辺りの映画やテレビ番組が大きく寄与しています。
実際にBreak Danceを動画で見てみる
実際に私が選んだBreakDanseのshowのリンクを2つ貼っています。
1つ目はBreak Danceの始祖NewYorkCity Breakersのパフォーマンスです。
彼らのトレードマーク全身タイツで個々にパフォーマンスを行うオールドスタイルです。
2つ目は近代のBreak Danceで世界3連覇を成し遂げた日本の The floorriorzというチームのshowです。
Break Danceの創始者と現代の世界覇者の違いがよくわかる動画です。
是非チェックしてみてください。
BreakDanceの解説はこの辺で、それではSee you next time!!