Break Dance Old School Team

New York City Breakersについて

2022-03-22

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NYCBについて

New York City Breakers(ニューヨーク・シティー・ブレイカーズ)とは1980年代初頭に、アメリカニューヨークで活躍したブレイクダンスチームです。

Break DanceやHipHopを語る上で欠かすことのできない伝説的なチームで、同じ頃に活躍したRock Steady Crewと併せて2大巨頭と言われています。

今回はNew York City Breakers(ニューヨーク・シティー・ブレイカーズ)について、書き留めておきます。

Break Danceが生まれた経緯

ダンスの歴史書アイキャッチ画像

ブレイクダンスは1970年代のニューヨーク・ブロンクス地区で誕生しました。

1970年代のNYは財政悪化の影響で治安が悪く非常に荒んだ街で、暴力やドラッグが蔓延していました。

その状況を悲観したHipHop界のカリスマ、アフリカ・バンバータが『暴力ではなくダンスをしよう』と提唱し、若者のエネルギーを暴力からダンスへと変えたことがブレイクダンスが盛んになった理由とされています。

Break Danceが生まれた経緯は荒んだ街や若者をHipHopの力で更生させる意味合いが強かったのです。

ブレイクダンスの詳細はこちらへ→ブレイクダンスってどんなダンス?

そんな中、NYで若者のカリスマとなったチームが、今回紹介するNew York City Breakers(ニューヨークシティーブレイカーズ)とRock Steady Crew(ロックステディークルー)です。

N.Y.C.B(ニューヨークシティーブレイカーズ)結成

New York City Breakers
N.Y.C.B

New York City Breakers(ニューヨークシティーブレイカーズ)の結成はマイケル・ホフマン無しに語ることができません。

マイケル・ホフマンはアメリカの映画監督で、当時既に結成されていたブレイクダンスチームRock Steady Crewのプロデュースを行いブレイクダンスを広めようと考えていました。

Rock Steady Crewの躍進のためには、彼らと競争する刺激的なライバルが必要と考えていたホフマンは、Rock Steady Crewのリーダー、クレイジー・レッグスに他のB-BOYクルーを見つけてどんどん踊らせろと命じます。

クレイジー・レッグスが連れてきたのはThe Floor Mastersというチームで、Rock Steady Crewとダンスバトルをすることになります。

そこでホフマンはRock Steady Crewを圧倒するThe Floor Mastersのダンスに惹かれ、彼らの特異なパワーとスピードに特化したダンスクルーを結成することを決意します。

Rock Steady Crewはダンスとリズムで観客を魅了したのに対し、The Floor Mastersはスピード、パワー、運動能力で勝負してたんだ。アクロバティックで派手なダンス方が観客も盛り上がるんだ!

ホフマンはThe Floor Mastersを土台としてクルーを募り、ニューヨークで最高のダンサーをリクルートしチームを一新し、Phase II(グラフィック界の巨匠)が「The New York City Breakers」とネーミングし1982年に誕生しました。

主なメンバー

New York City Breakersの主なメンバーは、

メンバー

  • KID NICE
  • ICY ICE
  • LIL LEP
  • M R.WAVE
  • FLIP ROCK...
  • POWERFUL PEXSTER
  • GRIDE MASTER
  • ACTION

一人一人の画像はありませんが、いまだに伝説として語り継がれるメンバーです。

繁栄と衰退

Graffiti Rockの出演シーン

マイケル・ホフマンがマネージャーとしてついたNew York City Breakersはアンダーグラウンドシーンを飛び出し華々しくデビューします。

当時流行していたテレビメディアにはこぞって出演し、その名を全米のみならず世界中へ轟かせます。

繁栄

1982年の結成後、彼らはアンダーグラウンドの世界から一気にスターダムを駆け上がります。

マイケル・ホフマンは結成わずか数日で全米で放送されていた『マーヴ・グリフィン・ショー』に出演させます。

これはHipHopが初めて日の目を見た瞬間とも言われています。

これをきっかけに、"Soul Train"、 "P.M. Magazine"、"Good Morning America"などアメリカの名だたる番組に出演し知名度を上げていきます。

また、史上初のヒップホップTVショー「Graffiti Rock」にも出演し、HipHopの地位の確立にも貢献します。

1983年、舞台芸術を通じてアメリカ文化に貢献した人に贈られるケネディ・センター名誉賞をヒップホップグループとして初めて受賞し、現職大統領ロナルド・レーガンの前でパフォーマンスします。

このパフォーマンスはCBSで全米に放送され、アメリカにおけるヒップホップ・カルチャー受容の画期的な出来事とされています。

1983 Kennedy Center Honors

映像の中にはレーガン大統領も楽しそうにShowを観る様子が映っています。

このShowがきっかけでフランク・シナトラと親しくなり、シナトラが組織委員長を務める大統領就任祝賀会に招かれパフォーマンスを行いました。

これらの実績が評価され、世界各地で大統領や王族(イギリスのアンドリュー王子、ノルウェー王と女王)のためにパフォーマンスを行い、ヒップホップを世界中に広めることに貢献し、ヒップホップ文化の重要な先駆者として認知されるようになりました。

マイケル・ホフマンの卓越したマネージメントが光っていると僕は感じました。

先ほども触れましたがブレイクダンスは、暴力やドラッグに手を染めていた若者を中心に発展した文化で、世間から決していい印象を持たれていませんでした。

いわば社会の底辺だった彼らを、どうやって世間で認めてもらえるか考えたマイケル・ホフマンは、パブリックな人達に認めてもらうことで世間の悪いイメージを払拭したのです。

この卓越したセンスのマネジメントが無ければ、今日のストリートダンスの発展は無かったように思います。

衰退

1980年代の後半になると、Middle SchoolやNew Schoolと呼ばれる新しいHipHopが流行します。

Bobby Brown(ボビーブラウン)やMC HAMMER(エムシーハマー)が新しいHipHop文化を作り上げ、Break Danceを始めとする、Lock DancePop DanceなどのOld Schoolと呼ばれるダンスが『時代遅れ』『ダサい』というレッテルを貼られます。

ブレイクダンスは一気に人気がなくなってしまい、ギャングから更生したダンサーもいましたがギャングに戻ったり、ドラッグにはまってしまうB-Boy達もいました。

1990年代〜2000年頃まではダンス人口が減り、新しいHipHopに押され下火になってしまい、New York City Breakersも解散するのでした。

N.Y.C.Bの功績

NYCBとレーガン大統領
レーガン大統領とN.Y.C.B

ストリートダンスをメジャーにした

なんと言っても彼らの功績は、今までイメージが悪くアンダーグラウンドであったストリートダンスをメジャーへと昇華させ、若者が熱狂する文化として全世界に広めたことです。

彼らの活躍なくして、今のヒップホップ、ブレイクダンス、ストリートダンスの普及は無かったでしょう。

2024年のパリオリンピックでブレイクダンスが正式種目となったのも、パブリック的なパフォーマンスを最初に行った彼らの功績が大きいように思います。

若者のカリスマとなった

多くの若者の憧れとなり、非行に走る若者を救ったのも彼らの功績です。

暴力やドラッグに染まった多くの若者を助けたのもニューヨークシティーブレイカーズ(ヒップホップ、ブレイクダンス)であり、ファッションや音楽も独自の進化を遂げストリートカルチャーを作り上げました。

以上が、New York City Breakersについてのまとめです。

それではこの辺で、See you next time!!

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