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Yoshibow(横田義和)とSeiji(坂見誠二)の偉業

2022-09-07

Yoshibow&Seiji

日本のストリートダンスを語る上で、絶対に外せない人物がYoshibow氏(横田義和)とSeiji氏(坂見誠二)の2人です。

ストリートダンス黎明期から第一線で活躍しており、この2人がいなかったら日本のストリートダンスは存在しないと言っても過言ではありません。

更にBe Bop Crewという伝説的なダンスチームを立ち上げ、設立40年以上経過した現在でも多くのダンサーが憧れる超一流のチームに育て上げたのがこの2人です。

>>Be Bop Crewについてはこちら

正に日本のストリートダンス界の原点にして頂点のダンスチームです。

今回はYoshibow氏とSeiji氏についてリスペクトを込めて彼らの偉業について書き留めておきます。

ダンサーなら必ず知っていて欲しい内容です。

Yoshibow氏(横田義和)について

Yoshibowの画像

福岡初のストリートダンスチーム『sunshine』の結成、Be Bop Crewの結成、アップダウンのリズムトレーニングの発明など、日本のストリートダンスシーンに重要な功績を残しているYoshibow氏について掘り下げてみます。

プロフィール

Yoshibowこと横田 義和(よこた よしかず)氏は、1957年5月7日福岡県生まれます。

1975年の18歳の時に、西日本で初のプロダンサチーム『SUNSHINE』を結成し活動を始めます。

Seijiさんが発売したDVD『MUGEN』(ムゲン)には、

働き口が無かったから『日本で一番上手なプロダンサーです』とハッタリを言って、無理やりクラブや飲み屋で踊って稼いだ

by Yoshibow

と話しており、食うために必死で踊っていたことを話されていました。(ダンスマニアなら必見のDVD)

その後カークやキヨジらと『CAEZER』というダンスチームを結成

CAEZERの画像
引用:江守藹の ROOTS OF CULTURE~日本のストリートダンス史~

『CAEZER』結成後すぐに、Something Specialというソウルトレインで活躍していたダンスチームのShowを観て感動し、『こんなカッコいいダンスチームを創る』と決心し、1982年にBe Bop Crewを結成します。

後のインタビューでは、

BeBopってもともとはJazz(音楽ジャンルの方)の用語なんだけど、スラングで「カッコいい」とか「イカした」という意味があるのね。で、俺はチームのメンバーみんなが同じステップ、同じ踊り同じタイミングで、例えば足を上げる高さから角度から一緒っての、アレが嫌なのよ。ユニゾンでやってるときもみんながそれぞれのタイミングをとっていて個性が出てカッコいいようなものを目指したいのね。

YOSHIBO・Lockingの神様

このように話されています。

自らの信念を持ち実力派ダンスチームBe Bop Crewを率い、日本のストリートダンスシーンを築き上げた人物です。

Yoshibowさん年表

1975年『SUNSHINE』を結成し福岡初のプロダンサーとして活躍
1981年Rickyらと『CAEZER』結成
1982年Be Bop Crew結成(同年に一時解散する)
1985年オリジナルロッカーズ結成(Yoshibow、Seiji、Tony)
1986年Be Bop Crew再結成(Yoshibow、Seiji、Susumu、So、ODA、沖など)
1988年TAXのCMで知名度が上がる
1993年東映Vシネマ『ハートブレイカー』に出演
2006年Be Bop CrewのリーダーをSoに引き継ぐ
2012年日本経済大学准教授としてストリートダンスカルチャー普及に貢献
2016年59歳の若さで死去

Yoshibowさんのセクシーなダンス↓↓(クリックすればダンスのシーンから流れます)

Yoshibow氏とSeiji氏とDA PUMPによるShowで、少年チャンプルの貴重な映像です。

Yoshibow氏の功績

本当に色々な功績があるのですが、個人的には『UP&DOWNの基本のリズム・トレーニングを開発したこと』がYoshibow氏の最大の功績のように思います。

彼がこのトレーニングを生み出したことにより、日本のストリートダンスのレベルは飛躍的に上がりました。

ストリートダンスの基礎を創ったと言っても過言ではありません。

トレーニングを生み出したストーリーもユニークで、その昔Yoshibow氏は黒人の踊りをひたすら研究し、アップとダウンのリズムがあることに気付きます。

黒人は生まれながらに持っているリズム感ですが、日本人は黒人のようなリズム感が無くそれを養うために『UP&DOWNの基本のリズム・トレーニングを開発』しました。

日本人のために開発されたリズムトレーニングですが、今では世界どこでも取り入れられています。

その洞察力、ダンスに対する熱意から後輩指導も素晴らしいものがあり、 SAM(TRF)、SAKUMA(SPARTANIC ROCKERS)、YOSHIE(BE BOP CREW)、SETO(BE BOP CREW)など多くのダンサーを輩出しました。

Seiji氏(坂見誠二)について

Seijiの画像
引用:https://www.studio-dys.com/officer/

Yoshibow氏と共にBe Bop Crewを結成し『ダンスの神様』と称される、日本ストリートダンス界の重鎮です。

ダンス歴半世紀の大御所、Seiji氏について掘り下げてみます。

プロフィール

Seijiこと坂見誠二(さかみ せいじ)氏は、1958年2月6日福岡県久留米市で生まれます。

1974年頃踊りを始め、1982年24歳の時にYoshibow氏とBe Bop Crewを結成します。

『ダンスの神様』と称され、国内に限らず国外にも影響力を持つ日本ストリートダンス界の重鎮です。

ブレイクダンスのオリジネーターRock Steady Crewのメンバーとして活躍していたMr.wigglesにPopのオリジネーターElectric Boogaloos(エレクトリックブガルーズ)を紹介した話がその影響力を物語っています。

日本においても、TRFのSam、錦織一清、滝沢秀明、KAT-TUN、パパイヤ鈴木などの振り付けを行いダンサーだけでなくアーティストからも絶大な支持を集めています。

彼の人望はそれだけに留まらず、映画監督の小松莊一良と幾度にも渡り映像製作を行ったり、テレビ番組のレギュラー出演をしたり、多方面で活躍しています。

Seijiさん年表

1982年Be Bop Crewを結成(同年一時解散)
1983年ニューヨークアポロシアターで日本人初のパフォーマンス(Seiji、Sakuma、Ricky、Hasegawa)
1985年オリジナルロッカーズ結成(Yoshibow、Seiji、Tony)ワイルドクルー結成(Seiji、Peet)
1986年Be Bop Crew再結成(Yoshibow、Seiji、Susumu、So、Oda、沖など)
1988年TAXのCMで知名度が上がる
1993年東映Vシネマ『ハートブレイカー』に出演
2005年MUGEN発売
2006年ダンス番組『スーパーチャンプル』にレギュラー出演
2009年アメリカニューヨークに単身ダンス留学
2010年ドイツで行われた世界大会『FUNKI'N STYLE』に日本人初の審査員として参加
2020年D.league2021のレギュラー審査員となる

Seijiさんの渋いPoppin'スタイル↓↓

Seiji氏の功績

Seijiさんの功績も色々あるのですが、個人的にはストリートダンスの知名度アップ、ストリートダンスの普及が最大の功績のように思います。

Seijiさんの人柄、温かさ、ダンスに対する愛など、人格者だからこそ多くの人にダンスの魅力を伝えることができたし、後輩も彼の姿をみてリスペクトし師事した歴史があります。

MUGENのDVDの時もそう感じましたし、チャンプルに出演している時の言葉尻からも人柄の良さが伝わってきました。

また、最近UPされたDANCE DIG UPのチャンネルには、1980年代に福岡のダンス界で干されていたPEETさんに救いの手を差し伸べ、再び一緒にダンスをするきっかけを与え『ワイルドクルー』としてPEETさんの再起を手伝った話が上がっていました。↓↓

SeijiさんがいなければBe Bop Crewは元より、今の日本のストリートダンスシーンはありませんでした。

今楽しく踊れていることに本当に感謝です

以上が、Yoshibow氏、Seiji氏のまとめでした。

2人に感謝して今日も楽しく踊りましょう♪

それでは、See you next time!!

  • この記事を書いた人

ダンスの歴史書の先生

ブラックカルチャーを心底リスペクトしダンスが好きな30代。 ダンスを知らない人にはダンスの魅力を、ダンスをしている人にはもう一段階上手くなるような情報や歴史を面白く伝えるメディアです。

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