DJとはDisk Jockey(ディスクジョッキー)の略のことで、直訳するとDisk(レコード)の Jockey(操縦)となり、フロアー全体の操縦士といったような意味合いです。
諸説ありますが、元々はラジオDJが起源とされており、1940年代からラジオDJは存在していました。
いわゆる、ラジオで音楽をかける人だね!
1960年代に入ると、アメリカニューヨークでDJがレコードをかけそれに合わせて客が踊るというスタイルが確立されます。
いわゆる、ナイトクラブやディスコの誕生です。
当時のDJはターンテーブルが1つだけで、1曲流し終わったらまた別のレコードを流すというアナログスタイルで、曲と曲の間を繋ぐためにDJはお喋りをしなければなりませんでした。(今とはだいぶ違っています。)
DJは曲と曲の間を繋ぐためにお喋りのスキルが必要でした。
その名残があって、ラジオで話しながら曲を紹介する人をラジオDJと呼ぶという説もあります。
その後レコードの2枚がけが生み出され、2ターンテーブルが主流となります。曲と曲の間をお喋りなしに埋めれるようになったり、今では当たり前のスクラッチが発明されたり、DJの技術が飛躍的に進化を遂げます。
今回は、HipHopシーンに多大な影響を与えたDJの歴史について掘り下げてみます。
DJの歴史について
DJ業界の歴史、機材の歴史、大きな転機についてご紹介します。
DJの歴史
DJは1940年〜1950年頃には存在しており活躍の場はラジオでした。庶民の娯楽の1つにラジオが定着しており、その中での音楽を流す担当がDJの起源になります。
1960年頃には活躍の場を広げ、クラブやダンスパーティーの会場でも音楽を流すようになります。この頃には有名なDJが数多く生まれ、フランシス・グラッソ、U・ロイなど、後述する世界3大DJの前の世代のDJが若者の支持を集めていました。彼らの活躍により、DJの流す音楽で民衆が踊り楽しむという文化の原型が作られることになります。
今とほとんど変わらない文化が1960年大には形成されていたのです。
DJ機材の進化
アナログレコードが作られたのは1850年頃と言われており、現在の塩化ビニール製のレコードができたのが1950年代と言われています。レコードの蓄音時間が長くなったり、コンパクトになったり等々、進化を遂げると、再生機材も同様に進化し様々な種類が登場します。
さまざまなレコードプレイヤーが登場する中、一躍名を挙げたのがPanasonic製のターンテーブル"Technics"でした。
本来の使い方ではない2枚がけ、正規品ではないミキサーの接続、スクラッチなどの高負荷のプレイなど、それらに耐えたのがメイドインジャパンのTechnicsだったのです。
世界で有名なDJが次々にTechnicsでプレイしたので、HipHop界隈のDJは軒並みTechnicsを愛用しました。
DJ界の大きな躍進
1970年頃のアメリカニューヨークのブロンクス地区で歴史的な発見がなされます。
DJクール・ハーク(Kool・Herc)という人がいつも通りブロックパーティーでDJプレイをしていた時に、音楽の歌のパートよりも間奏の時に踊りが激しくなったり盛り上がっていること気付きます。
今でもその名残があって、EXILEやSnowManも歌のパートよりも間奏で踊りが激しくなるよね!
クールハークは『間奏を流し続ければもっと盛り上がる』と確信し、ターンテーブルをもう1台用意し間奏ばかりを流し続けます。
すると会場は大盛り上がり、間奏は英語でBreakというので、彼の流す音楽を『Break Beats』と呼び、そこで踊るダンサーをBreak boy→B-boyと呼ぶようになったのです。
『Break Beats』の発見と2ターンテーブルの発見によりDJは飛躍的に進化を遂げることとなります。
世界3大DJの出現
1970年代以降、DJを飛躍的に進化させた世界3大DJと呼ばれる人物が現れます。
世界3大DJ
- アフリカ・バンバータ...HipHopの名付け親
- クール・ハーク...ブレイクビーツの発明
- グランドマスター・フラッシュ...スクラッチの普及
この3人は歴史上最も偉大な3大DJと言われており、今尚語り継がれる伝説です。
アフリカ・バンバータ
Afrika・Bambaata(アフリカ・バンバータ)は、この写真でも分かるようにHipHop界のGod Fatherです。
HipHopの名付け親で、HipHopを4つのエレメントから成る文化だと定義した張本人です。
HipHopとは
- DJ...音楽
- B-boying...ダンス
- Graffty...グラフィックアート
- MC...ラップ
上記4つのエレメントを定義したのがバンバータです。
そして、暴力やドラッグで荒んでいたニューヨークを音楽とダンスで正しい方向に導いたのが彼の最大の功績です。
DJとしても有能で彼の最大のヒット曲Planet Rockは一度は耳にしたことがある超有名曲です。
クールハーク
Kool・Herc(クール・ハーク)はジャマイカ出身で幼少期にアメリカに移り住んだ移民です。先に記載したようにブレイクビーツの生みの親であり、DJの2枚がけの妙技を普及させ、音楽だけでなくブレイクダンスの進化にも貢献しました。
後のインタビューで、『HipHopのルーツはジャマイカのレゲエにある』と語っており、故郷の音楽がHipHopに影響を与えたと語っていました。
色々な文化をミックスさせてHipHop創成期を盛り上げた偉人です。
グランドマスターフラッシュ
Grandmaster・Flash(グランドマスター・フラッシュ)はクールハークからDJを学び、レコードは聞くものでなく演奏するものだという概念を広く浸透させます。
今では当たり前ですが、スクラッチを広く浸透させたのも彼の功績です。
レコードを流すだけでなく、演奏する対象として昇華させた影響は大きく、現代のバトルDJの礎を築いたといっても過言ではありません。
この3人の偉大なDJの功績が今のDJやダンスシーンに繋がっていることは間違いありません。
世の中にDJを浸透させた楽曲
Herbie Hancock(ハービーハンコック)のRockit(ロックイット)という曲です。
日本人でもほとんどの人が聞いたことがあるメガヒット曲です。
この楽曲は、DJ、スクラッチ、ブレイクダンスを取り入れた革新的な楽曲で、マイケルジャクソンも一目置くパフォーマンスです。
この楽曲によりスクラッチがメジャーに普及しました。
現在のDJ
最近のDJは技術がかなり進化し、音楽を奏でる人→パフォーマンスをする人に変わりつつあります。
私は昭和生まれなのでCDJが発売された時はびっくりしましたし、MacbookがDJ機材の一部になった時には腰を抜かしました(笑)
曲をセレクトする行為をPCでできちゃう訳ですから、時代は物凄いスピードで変化しました。
そんな中、最近のDJで特に注目しているのが、DJ松永です。
彼は実力もさることながら、DJをパフォーマーに昇華させ、大衆の認知を得た最初の人のように思います。ファーストテイクのパフォーマンスは清々しさすら感じます。
以上がDJの歴史の解説でした。歴史を知り良いパフォーマンスのきっかけになれば嬉しいです。
ダンスの歴史書ではダンスにまつわる様々な歴史について解説しています。
是非楽しんでください♪
それではこの辺で、See you next time!!