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世界で初めてラッパーとして大成したカーティスブロウ(Kurtis Blow)

2023-02-20

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Kurtis Blowの画像

カーティスブロウ(Kurtis Blow)という名前を聞いてピンとくる人がどれだけいるでしょうか?

現在は表舞台に立つことが少なくなり、牧師として活動をしているカーティス・ブロウですが、実はラッパーとして大成した第一人者です。

ダンサーであれば一度は聞いたことのある下記楽曲も彼の作品です↓↓(再生ボタンを押せばそのまま曲が流れます)

MCが、Say Ho~(Ho~)Clap your hands everybody、などの観客を巻き込んで盛り上がる"コールアンドレスポンス"を流行させたり、『Break it up』『You don't stop』『Break down』のような、よくラップで聞くフレーズを流行らせたのもカーティスブロウだと言われています。

また、上記に貼り付けた「The Breaks」という楽曲は、ラップの曲として初めて50万枚の売り上げを記録しゴールドディスクを受賞した曲でもあります。

ラップ界のパイオニア的な存在で、数多くの功績を残しています。

今回はカーティスブロウ(Kurtis Blow)について書き留めておきます。

カーティス・ブロウとは?

カーティスブロウの画像

プロフィール

プロフィール

  • 本名:Kurtis Walker(カーティス・ウォーカー)/芸名:カーティス・ブロウ
  • 出身地:アメリカ合衆国 ハーレム地区
  • 生年月日:1959年8月9日
  • ラッパー・DJ・プロデューサー・牧師

1959年、アメリカのハーレムで生まれたカーティスブロウは、13歳でDJを始め音楽と共に青春時代を過ごします。

ちょうどその頃に、デフジャム創業前のラッセルシモンズと知り合います。

ラッセルは、カーティス・ブロウの歌声に惚れ込み、彼をプロデュースすることになります。

ラッセルシモンズはアメリカのHipHopレーベル、デフジャムの創業者。
ラッセルシモンズの弟はRUN(RUN-D.M.C)で、カーティスブロウに憧れて彼の前座などを務め、後にRUN-D.M.Cとして活躍します。

メジャーデビュー

ラッセルシモンズの懸命なプロデュースの甲斐あり、マーキュリー社と契約をすることになりメジャーデビューの切符を手にします。

当時はラップに馴染みが無く20社以上に断られるんだ!諦めない努力が凄い!

1979年、『Christmas Rappin』でデビューを果たし、見事40万枚のヒットを記録します。

この曲は商業的にヒットした最初のヒップホップシングルと言われています。

(同じ年にリリースされた「ラッパーズ・ディライト」も有名です。)

1980年には『The Breaks』をリリースし、50万枚以上の売り上げを記録し、HipHopアーティストとして初めて50万枚以上を売り上げ、しゴールドディスクを受賞しました。

その後、

リリースした作品

  • Kurtis Blow (1980年)
  • Deuce (1981年)
  • America (1985年)

などをリリースしヒットを記録します。

1985年のアルバム『アメリカ』は、ミュージックビデオが賞賛され、収録されている「If I Ruled the World」がビルボードのR&Bチャートでトップ5に入るヒット曲となりました。

その他の活動

カーティス・ブロウはプロデューサーとしての手腕も発揮しています。

プロデュースやコラボしたアーティスト

もちろんRUN-D.M.Cにも多大な影響を及ぼし、HipHopカルチャーを世の中に広めていくことに貢献しました。

DMCの1985年の曲「You Talk Too Much」は大ヒットを記録します。↓↓

他にもレネ&アンジェラへ『Save Your Love (For # 1)』の楽曲提供、キング牧師へ捧げる歌『KING DREAM CHORUS & HOLIDAY CREW』への参画をしています。

キング牧師への哀悼ソングの参画に彼の思想が出ているように思います。

また、俳優としても活躍しており、レオン・ケネディの『ナイツ・オブ・ザ・シティ』やヒップホップ映画『クラッシュ・グルーヴ』出演など、マルチに活躍しています。

近年の活動

1996年ラッパーのNasが、「If I Ruled the World」をサンプリングし、50万枚以上のセールスを記録します。

その後も多くのアーティストにカバーされ、彼の楽曲は今も支持されています。

2009年には第一線を退き、ハーレムのヒップホップ教会の創設者として牧師として活躍しています。

その活動も評価され、2016年にはユニバーサル・ヒップホップ・ミュージアムの会長に選出されました。(この博物館は2023年にニューヨークのブロンクスポイント地区にオープンする予定)↓↓

ヒップホップミュージアムの画像

過去の映像

1980年にSoul Trainに出演した映像が面白いです。

司会のドンコーネリアスが、

It was September 27, 1980. Rap records had only been a reality for a year and the word "Hip-Hop" had not yet been assigned to define a culture. The music was so new to mainstream America that when Mercury Records recording artist Kurtis Blow was introduced on the wildly popular Saturday morning syndicated music program Soul Train, host Don Cornelius had to explain to his audience what rap was.

1980年9月27日、ラップレコードが誕生してまだ1年しか経っておらず、「ヒップホップ」という言葉もまだ文化を定義するものとして使われていなかった。この音楽は、アメリカの主流派にとってはあまりに新しく、マーキュリー・レコードのレコーディング・アーティスト、カーティス・ブローが土曜日の朝のシンジケート音楽番組『Soul Train』でに出演した時に、司会のドン・コーネリアスがラップとは何かを視聴者に説明しなければならないほどだった。

上記のように語っており、TV Showに出るのが難しい時代だったことが伺えます。

1980年代のSayHo~(Ho~)もご覧いただけます。↓↓

ラップでここまで上手い人って珍しいです。売れる理由が分かります!

カーティスブロウのおすすめの楽曲

1979年のデビュー曲『Christmas Rappin』と、1980年発売の『The Breaks』がオススメです。(再生ボタンを押すとそのまま聴けます↓↓)

以上がカーティスブロウの記事でした。

HipHipシーンの夜明けを創ったキーパーソンです。

是非彼の音楽を聴いてみてください。

それじゃ、See you next time!!

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