ジェームスブラウンの右腕、女房役として活躍したBobby Byrd(ボビーバード)について、あまり知られていないのでマニア向けに彼の功績を書き留めておきます。
ボビーバードはジェームスブラウンの右腕として活躍し、それ以外にも歌手・プロデューサーとして活躍し、ソウルミュージック・ファンクミュージックの黎明期を支えた人物です。
彼がリリースした『I know you got soul』は今でもダンサーに愛されている楽曲で、アイス・キューブやLL クール Jなどの有名アーティストにサンプリングされました。
Apple Musicの再生ボタンを押せばこのまま1分程サンプルが試聴できます↓↓ JBと物凄く似ています!!
今回はこの楽曲を歌っているBobby Byrd(ボビーバード)について、どこよりも詳しく解説します。
Bobby Byrd(ボビーバード)について

ソウルミュージックの確立、ジェームスブラウンの発掘など、音楽界に多大な功績を残したボビーバードについて詳しく解説します。
Bobby Byrd(ボビーバード)wiki
Bobby Byrd(1934-2007)は、1934年アメリカのジョージア州に生まれ、歌手・プロデューサーとして活躍し、ジェームスブラウンの発掘をした人物です。
両親が熱心なキリスト教徒だったこともあり、幼少期からゴスペルをなどの音楽に触れる機会が多く、妹と共に地域で有名な歌い手となります。
1952年、バードは18歳のときに妹サラと『ゴスペル・スターライターズ』というゴスペルグループを結成しスマッシュヒットを飛ばします。
メンバー
- ボビーバード
- サラ
- シルヴェスター・キールズ
- フレッド・プリアム
- ドイル・オングルスビー
- ナッシュ・ペンドル・"ナッシュ"・ノックス、
- ナフロイド・スコット
また、両親の影響から慈善活動にも熱心に取り組んでおり、アメリカの少年院の受刑者向けに歌を披露していました。
そこでバードは運命的な出会いをすることになります。
James Brown(ジェームスブラウン)との出会い
1952年、ボビーは慈善活動の一環で少年院の受刑者の前で歌を披露します。
そこで聞いていたのがジェームスブラウンでした。
1948年、15歳のジェームスは貧しさのあまり窃盗を繰り返し警察に捕まってしまいます。
当時のアメリカは黒人差別が根強く、窃盗なのに実刑8年という非常に重い刑を受けていました。詳細→JBについて
ボビーは歌が大好きだったジェームスとすぐに意気投合します。
そして、身寄りのなかったジェームスブラウンの身元保証人となり仮釈放の手伝いをします。
仮釈放の条件として、
- 一緒に音楽をすること
- 故郷には帰らないこと(悪友と再犯の恐れがあったため)
- バードの家族がジェームズブラウンの身元保証人となること
このことを条件にジェームズブラウンは仮釈放され、本格的に音楽の道に進むことになります。
バンド結成
ボビーのバンドメンバーが不慮の事故で亡くなったのをきっかけに、ジェームスブラウンが代役としてバンドに招き入れられます。
1954年頃のことでした。
バンドの方針もゴスペル中心からR&Bやソウルに近い音楽を演奏するようになり、バンド名をFAMOUS FLAME(フェイマスフレイム)に変えリスタートを切りました。
ジェームスブラウンは最初ドラム要員としてバンドに入ります。
しかし彼の才能はバンド全員が認めており、メインヴォーカルになるのに時間はかかりませんでした。
バンドのリーダーであるボビーは、ジェームスブラウンの才能には気付いており、徐々にヴォーカルの座を明け渡すこととなります。
1956年にリリースした『please please please』では、ジェームスブラウンがメインヴォーカルを担い大ヒットを記録します。
バンドの崩壊
バンドが売れるにつれて確執が生まれます。
元々はバンドの穴埋めとして入ったジェームスブラウンが、バンドの中心となり活躍することを快く思わないメンバーがいた為です。
それに加えて金銭面でも揉めており、稼いだお金を均等割する約束を破り、ジェームスはその殆どを懐に入れていました。
また、バンド崩壊の引き金となったのは、発売したレコードのクレジットに『James Brown and the Famous Flames』(ジェームスとフェイマスフレイム)という記載がされ、遂にジェームスに愛想を尽かしたバンドは解散してしまいます。
その後ジェームスブラウンを除いたメンバーが、Famous Flames→Byrd's Drops of Joy(バーズ・ドロップス・オブ・ジョイ)と名前を変えバードを中心に活動を続けますが、ジェームスブラウンの人気があまりにも絶大だったため、全く売れませんでした。
生活が苦しくメンバーの脱退も相次ぎ、最終的にはジェームスブラウンの力を借りることとなります。
ジェームスブラウンの右腕となるバード
ジェームスブラウンは、Byrd's Drops of Joy(バーズ・ドロップス・オブ・ジョイ)が上手くいっていなかったことを知り、バードに『君の力が必要だ』と説得し、自身の右腕となることを打診します。
バードや他のメンバーは経済的に苦しかったこともありオファーを受け入れますが、この行為はバンドの権力をジェームスに奪われることを意味していました。
1958年、バードはジェームズブラウンの右腕として活動すると腹を括り再び一緒に活動をすることにします。
その後リリースした『Try me』が大ヒットを記録し、『James Brown and the Famous Flames』(ジェームスとフェイマスフレイム)は再びスターにのし上がります。
それからは生まれ変わったようにヒットを連発するようになり、1968年の解散までジェームスのバックバンドのような形で活動を行いました。
その後ジェームスブラウンはJB'sというバンドを組んでさらに売れることになります。
その後のバード
Famous Flamesは解散してしまいますが、バードは1970年に結成されたジェームスブラウンのJB'sというバンドに参加します。
そこで世界的に大ヒットした『Get Up (I Feel Like Being a) Sex Machine』がリリースされます。
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それと同時期にソロ活動も行い、1971年に自身最大のヒットとなる『I Know You Got Soul』をリリースします。
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順風満帆な人生を送っているかのように見えますが、ここでもお金のことで揉めてしまいます。
ジェームスブラウンとは1970年〜1973年まで同じステージに立ち共に楽曲制作に打ち込んできましたが、ボビーバードの名前がクレジットされることはなく後に訴訟問題に発展します。
ジェームスブラウンと不仲説が囁かれ実際に訴訟も起こっています。
しかし、お互いの才能は認め合っていたようで楽曲製作やセッションも行っています。
晩年
1973年にジェームズと離れた後は、バンドメンバーの女性と結婚し3人の子供をもうけましたが、愛人がいてその人との間に2人の子供がいました(笑)
1990年代に入ると少しづつ音楽活動を再開し『On the Move』という楽曲をリリースしたり、不仲説が囁かれていたジェームスブラウンと再びセッションをしたり、表舞台に顔を出すようになります。
2002年にはジェームスブラウン最後のスタジオアルバムの『The Next Step』に収録されている「Killing Is Out, School Is In」という曲でコラボレーションしています。
2006年12月にジェームスブラウンが亡くなると、葬儀でバードは他のバンドメンバーと共に「Sex Machine」を歌い、ジェームズブラウンに対しての敬意を表しました。
しかしその翌年の2007年9月、ボビー・バード自身もがんで亡くなり、73歳の人生に幕を閉じました。
2012年ロックの殿堂入り
2012年にFAMOUS FLAME(フェイマスフレイム)は、その功績を称えられロックの殿堂入りを果たします。
しかし、ブラウンやバードを筆頭にメンバーの殆どが亡くなっており、唯一生き残ったボビー・ベネットが代表して名誉を受け取りました。
(彼も翌年2013年に亡くなりフェイマスフレイムのメンバーは誰もいなくなりました)
Bobby Byrd(ボビーバード)の功績

Bobby Byrd(ボビーバード)は、歌手として・プロデューサーとして数多くのヒット曲を世の中に送り出しましたが、一番の功績はジェームス・ブラウンを発掘したことです。
15歳の受刑者だったジェームスブラウン才能にいち早く気付き、身元保証人となり彼を音楽の道へと導いたのは紛れもなくボビーバードの功績です。
ジェームスブラウンがいなければ、ソウルミュージック・ファンクミュージック・黒人の差別問題の解消、これらの問題が30年遅れていたとも言われています。
刑務所で燻っていた才能に光を当てたのがボビーバードの最大の功績じゃないかと思います!
以上が、Bobby Byrd(ボビーバード)についてのまとめでした。
是非、『I kow you got soul』聞いてみてね~♪
See you next time!!