ジェームスブラウン(James Brown)は1960年代~1990年代にかけて活躍したアメリカの黒人歌手です。
R&Bやソウルミュージック、ファンクミュージックの礎を築いた人物で、歴史上最も偉大なシンガーの1人と言われています。
日本では「ゲロッパ」で馴染みのある『Get Up (I Feel Like Being) A Sex Machine』が大ヒットし、今でもクラブシーンでよく耳にする1曲です。
その他の楽曲も、サンプリングされたりリミックスされたりしており、時代を超えて多くの若者に支持されています。
今回は、没後10年以上経過しているジェームスブラウンについて、彼の何が凄いのか、彼の魅力は何なのかをどこよりも詳しくお伝えします。
ジェームスブラウンの生い立ち

幼少期
ジェームスブラウンは1933年アメリカのサウスカロライナ州に生まれます。
非常に貧しい家庭で育ち、おまけに両親が離婚し母親に見捨てられ、父と父方の叔母の家で育てられます。
幼少時は、綿花詰みの手伝いや靴磨きを行い生計を助け、5歳の頃に父から与えられたハーモニカを遊び道具として育ちます。
9歳頃から叔母の売春宿の客引きの手伝いをしながら、地元の歌のコンテストで歌っては優勝をするという生活を送っていました。
幼少期から非常に歌が上手く、地元では評判になっていたそうです。
14歳になると平日は仕事、週末はライブに行ったり黒人教会でゴスペルを歌う生活を送っており、さらに音楽の才能を磨くことになります。
また、売春宿の客にギターの演奏方法やドラムの叩き方を習い、音楽のプロの道を志すようになります。
青年期
15歳頃、彼は『まともな服を着たかったから』という理由で窃盗や万引きに手を染めてしまいます。
幼いころから貧しい生活を強いられ、小学校へ登校しますが洋服が汚れていることから登校を拒否された経験を持っていました。
ある日彼は車の中にあったコートを盗んだところを警察に見つかり現行犯逮捕されてしまいます。
その量刑は酷いもので、『反省があれば8年、反省がなければ16年』という明らかに黒人を差別したような判決でした。
判決が確定し1948年から教護院に収容されてしまいます。(ジェームスが15歳の頃でした)
人生の転機
幸か不幸か、少年院に収容されている時に運命的な出会いをします。
それはボビー・バードとの出会いです。
ジェームスブラウンは歌が上手なことから刑務所の中でも人気者になり、塀の外のゴスペルチームとの交流を許可されます。
そこに来ていたのが、後に一緒にバンドを組むボビーバードでした。
ダンサーなら誰しも聞いたことのあるボビー・バード。「I Know You Got Soul」はダンサーの中ではあまりにも有名な楽曲です。
しかも、JBと声が瓜二つなのでJBの楽曲と思っている人も多いはず!
ボビー・バードと運命的な出会いをしたジェームスブラウンはゴスペルにのめり込み音楽の基礎を学ぶのでした。
また、ボビーバードの家は熱心なクリスチャンで、ジェームスブラウンの早期出所に尽力します。
ジェームスブラウンが19歳の時、ボビーバードの家族の後押しと、彼の音楽への真面目な取り組みが評価され出所できることとなり、音楽の道が開けることになります。
音楽のプロへ
1953年20歳になったジェームスブラウンは、「ザ・ゴスペル・スターライターズ」というバンドを結成し活動を始めます。
メンバーはジェームスブラウン・ボビーバード・ボビーバードの妹が在籍しており、後に「The Famous Flames」(フェイマス フレイムズ)と名前を変え活躍します。
1956年にリリースされた「Please Please Please」はミリオンセラーを記録し、彼らの名前がアメリカ中に知れ渡るきっかけとなりました。
その時の貴重な映像が残っています。
ジェームスブラウン23歳、驚異の歌声ですね。(既に完成している....)
人気絶頂
「Please Please Please」の後はヒットに恵まれず、事務所との契約を解除されてしまいます。
「The Famous Flames」(フェイマス フレイムズ)は実質的に、ジェームスブラウンのソロ活動のサポートバンドのような形に変化し、バンドは消滅してしまいます。
その後新たなレコード会社が彼らに手を差し伸べ、ジェームスブラウンは成功を収めます。
1960年代後期から1970年代にかけては説明不要の大活躍で、
ポイント
- Get Up (I Feel Like Being Like A) Sex Machine
- Get on the Good Foot
- Give It Up or Turnit a Loose
- I Got You (I Feel Good)
- The Payback
また、このあたりから社会に対するメッセージソングも歌うようになります。
- 「It's A Man's Man's World」...男性中心の社会を風刺する内容
- 「Don't Be A Drop Out」...黒人の子供たちに「落ちこぼれるな」と応援する
- 「Say It Loud.I'm Black and I'm Proud」...黒人であることを誇りにしているメッセージ
また、コンサートの売上から奨学金制度を始めたり、NAACP(米国黒人地位向上会議)の永久会員として、非暴力の立場での公民権運動を支持しました。
キング牧師とも親交が深く彼が暗殺された1968年には、キング牧師を称えるとともに暴力に訴えるのは彼の望みではないとし、コンサートやテレビ・ラジオで非暴力を訴えました。
日本と違って有名人でもはっきりと自分の意見を言うのがアメリカですよね。
政治的な考えも堂々と人前で話せる自由の国アメリカらしい話です。
衰退
ジェームスブラウンは他のアーティストの台頭や時代の流れにより徐々に衰退していきます。
1984年に新しい取り組みを行い、ヒップホップのアフリカ・バンバータとのデュオ「ユニティ」がヒットしますが、昔ほどの勢いはありませんでした。
その後、1986年の「Living In America」のリリース以降、大きなヒットに恵まれず、徐々に表舞台から姿を消していきます。
そして1988年に、世間を震撼させる事件を起こしてしまいます。
薬物に手を染め、薬物吸引中に妻とケンカし、挙句に銃を乱射し駆けつけた警察とカーチェイスを行った末、逮捕されてしまいます。
しかも実刑判決を受け、しばらく服役をしてしまうのです。
3年弱で釈放され、少しづつ活動を始めますが以前ほどの勢いは無くなっていました。
晩年
2003年ハリウッドで行われた、第3回BET(ブラック・エンターテインメント・テレビジョン)に招かれた際に、マイケル・ジャクソンが、「ここにいるこの人物ほど、僕に大きな影響を与えた人はいない」とスピーチし、音楽とダンスの師匠であるブラウンに生涯功労賞を手渡したシーンは有名です。
これを皮切りに表舞台に姿を出し始めたジェームスブラウンは、2006年に世界ツアー「Seven Decades Of Funk World Tour」を行います。
精力的に活動するのかと思われていましたが、同年12月歯科医を訪れそこで肺炎の症状が判明し、病院に入院しますが翌日の午前1時45分にうっ血性の心不全で73歳で亡くなります。
ジェームスブラウンの何が凄いのか
結局ジェームスブラウンの結局何が凄いのかを考えてみました。
ファンクミュージックの確立
そもそもファンクミュージックとは、簡単に説明するとアフリカ系アメリカンのブラック・ミュージックのことです。
特徴としては、16ビートを基本に同じリズムの繰り返しが多用され歌詞も反復が多いです。 (↑上のインスタのような感じですね)
ダンサーがよく使用する一定のリズムや音楽が反復したものってイメージです!
同じフレーズが反復しリズミカルでノリのいい音楽って感じですね。
ジェームスブラウンはジャズ、ソウル、ブルース、ゴスペル全てのバックグラウンドを持っていて、そのぞれをミックスしてファンクを確立しました。
なので、本当に色々な音楽が混ざっていて唯一無二のスタイルって印象を受けます。
あと、歌ではなくシャウトとか語り口調の音楽もジェームスブラウンの功績ですね。
『Hey』とか『シャー』って叫んでいても成立しているのですから、マジで凄いです(笑)
当時はビートルズも活躍していて、きれいな歌とメロディが人気でした。
JBはそれをぶっ壊し、叫びながら表現をしていました。
後世に様々な影響を与えた
ジェームスブラウンは後世に様々な影響をもたらしています。
ファンクミュージックを確立したことにより、HipHop・House・Thechnoの音楽の発展に寄与しました。
ファンクミュージックがブレイクビーツの発明に繋がり、その後のHipHop全般の音楽の礎となりました。
当然それらの音楽を使用して踊るダンスも発展し、現在のストリートダンスが形成されたといっても過言ではありません。
※詳しくはDJの歴史を参考にしてください。
また、ジェームスブラウン自身も結構踊ります。マイクパフォーマンスの傍ら、ゲッダンを連発します(笑)
↓下記インスタが面白いですね。
歌唱力
ジェームスブラウンはシンガーとしても一流でした。
歌は当然上手なのですが、エネルギーに満ち溢れた声、独特のシャウトなど、今までにないスタイルを確立しました。
ダンス界でもよく言われるのですが、誰かの模倣ではなくオリジナルで勝負できる人が本物です。
ジェームスブラウンはファンクスタイルを創出しましたが、同時にそれはJBスタイルでもありました。
彼の歌は唯一無二なのです。
黒人の地位確立に寄与
この写真はソウルトレインに出演したときのジェームスブラウンと司会者ドンコーネリアスの写真です。
ソウルトレインとは黒人による黒人のための音楽番組で、1971年にドンコーネリアスによって作られました。
この番組からストリートダンスやブラックミュージックが世界に広まりました。詳しくはこちらを!
この取り組みに共感したジェームスブラウンはソウルトレインに数多く出演し、歌だけでなくダンサーの審査員も務め番組に貢献します。
この番組が当時差別に苦しんでいた黒人の希望の光となり、黒人の地位確立に寄与します。
ジェームスブラウンの破天荒エピソード
ブラックミュージックを普及させた第一人者だったり、黒人の地位向上に寄与したり、マイケルジャクソンから尊敬されたり、華々しい経歴を持つジェームスブラウンですが、私生活ではかなり破天荒でした。
15歳の時に窃盗で捕まったことは記載しましたが、1988年55歳の時に妻への暴力・薬物使用で逮捕、1998年65歳の時には薬物使用で逮捕、2004年71歳の時には妻へのDVで逮捕されています。
合計4度も逮捕されており、もちろん実刑を食らって塀の中で数年間過ごしています。
他にも、金銭的なトラブルが後を絶たず、ジェームスブラウンのバンドメンバーがストライキを起こし全員辞めてしまったり、私生活でも話題の事欠かない人物でした。
まとめ
JBの凄いところ
- 貧しい生活を強いられるも音楽に触れて幼少期を過ごす
- 15歳で窃盗で捕まるも獄中でボビーバードと出会い音楽にのめり込む
- 出所後、ボビーバードらとデビューを果たしヒットを飛ばす
- ソロ活動に転向し更に多くのヒットを飛ばす
- ファンクミュージックの確立、黒人の地位向上に寄与
- 後世に数多くの影響を与え、音楽の発展に貢献
まとめるとこんな感じです。
決して恵まれた環境とは言えないですが、そんな中でも歴史に名を遺した彼の功績は素晴らしいものです。
今日もJBの曲を聴いて頑張りましょう~!
それではSee you next time!!