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Soul Train(ソウルトレイン)って何?

2022-01-29

SoulTrainとは?

Soul Train(ソウルトレイン)とは1971年から2006年までアメリカで放送されていたテレビ番組です。

音楽とダンスと黒人にスポットを当て、ジェームス・ブラウン、ジャクソン5、RUN-D.M.C、スティービーワンダーなど多くの黒人アーティストを起用し人気を博しました。

1970年代のアメリカは公民権運動の後にも関わらず、黒人に対しての差別が強く残っており、そんな黒人達の社会に対しての不満差別に対する怒りなどの感情の受け皿となったのがソウルトレインです。

この番組の司会者およびプロデューサーである、ドン・コーネリアス自身も黒人で、彼は『黒人による黒人のための番組』と銘打ってこの番組をスタートさせており、黒人に自由と表現の場を提供したのでした。

シカゴのローカルテレビ局でスタートしたソウルトレインは、黒人のリズム感、ダイナミックなダンス、独特のグルーブなど当時の若者に支持され、全米で放送されるまでに成長します。

その人気は世界各地に波及し、日本でも放送されるようになり全世界の若者に強烈なインパクトを与えます。

ソウルミュージック、R&B、HipHop、ストリートダンス、『これらの起源を辿ればソウルトレインに行き着く

それくらいこのソウルトレインが、音楽界とダンス界に与えた影響は大きいのです。

今回はソウルトレインについて掘り下げたいと思います。

音楽やダンスをやっている人はソウルトレインについて知っておこう!

Soul Trainとは?

ソウルトレインは1971年から2006年まで35年間アメリカで放送されていた音楽とダンスのパフォーマンス番組です。

黒人が多く住む全米のブラックシティをソウルトレイン(心の電車)で結ぶ意味合いがあってこの名がつけられました。

それゆえ、番組のシンボルマークは1971年当時から電車となっています。

ソウルトレインのロゴ(電車)
ソウルトレインのロゴ

ソウルトレインは、アフリカ系アメリカ人の歌手をゲストとして招き、番組専属のダンサーと一緒に生ライブとダンスを放送する、当時としては画期的な番組でした。(ダンサーはソウルトレインギャングス、ソウルトレインダンサーズと呼ばれていました)

ソウルトレインの専属ダンサーとは、一般人の中からオーディションで選ばれたダンサーのことで、当時のLAではソウルトレインに出演するために黒人ダンサーがオーディション会場に長蛇の列を作っていたそうです。

その結果、より目立つダンス、他の人が踊っていないダンスをする人が出てきて、Lock Dance、Pop Danceと呼ばれる新しいジャンルのダンスが生まれたと言われています。

何かが進化を遂げる背景には必ず競争原理があるよね!

黒人の心の支えとなったソウルトレインは、出演者だけでなく多くのアフリカ系アメリカ人の希望として成長し、35年も続くアメリカを代表する番組に成長していきます。

当時は番組の制作費が少なく、ソウルトレインダンサーのギャラはフライドチキンでした。
それでも出演希望者が後を絶たなかったのは、ギャラよりも黒人を認めてくれる場所に出演したいという強い願望があったからです。

ソウルトレインは1975年から日本でも放送されていました。
ファッションブランドのJUNがスポンサーとなり日本にブラックカルチャーを広く浸透させました。

ドンコーネリアスの存在

ソウルトレインを語る上で欠かすことのできない人物がドン・コーネリアス(Don Cornelius)です。

彼はMC兼プロデューサーであり、『黒人による黒人のための音楽番組』のコンセプトで番組を始めた張本人です。

ソウルトレインのMCドンコーネリアス
Wikipediaより(ドンは右側の男性)

若い頃は兵役についており、退役後は自動車販売や保険の販売をしていましたが、1966年30歳の時にシカゴのラジオ局に就職します。

ラジオDJ、取材、テレビの企画などを行い、仕事を通して多くの差別を目の当たりにしたドンは『黒人の為のテレビ番組を制作したい』と思うようになります。

当時のアメリカは「アメリカン・バンド・スタンド」という音楽番組が流行っていて、白人Rockが中心で黒人がテレビに出る機会は極端に少なかったのです。

ドンは『この番組の黒人版を作ろう』と決意し、1971年ソウルトレインをスタートさせます。

黒人に等しくチャンスが巡ってこないような世の中をどうにかしたい』その強い思いがソウルトレインに反映されており、番組から黒人スターを数多く輩出したり、貧しい黒人には奨学金制度で大学に行かせたり、黒人の地位向上に貢献した番組でもありました。

それがプロデューサードンの本当の願いだったのです。

Soul Trainが音楽とダンスシーンに与えた影響

ソウルトレインは1971年当時では珍しい、ダンスと音楽が融合した番組でした。

当時のアメリカでブラックミュージックとストリートダンスの最先端をテレビで流す事による影響は絶大でした。

音楽ではSoul Musicの普及にジェームスブラウンが貢献し、ジャクソン5やスティービーワンダーのPOP系(ポピュラーミュージック)も大ヒット、RUN-D.M.C、LLcoolJはHipHop Musicの普及に貢献し、音楽における一時代をソウルトレインが中心となって築きます。

ダンスの方では、1970年頃The LockersというチームがLock Danceを創り、1970年代中盤にElectric BoogaloosというチームがPop Danceを創り、今までになかった新しいダンスを生み出します。(Shalamar(シャラマー)と呼ばれる有名なディスコグループもソウルトレイン出身です)

詳しく知りたい方はLock DancePop Danceの成り立ちをご覧ください。ソウルトレインが深く関係していることが分かります。

ソウルトレインの収録スタジオ風景
ソウルトレインの様子

ソウルトレインの勢いは止まることを知らず日本にも影響を与えます。

1980年代初頭、Something Special(サムシングスペシャル)というソウルトレインのダンスチームが九州の福岡に来日します。

なぜ九州の田舎にソウルトレインのダンサーが来たのかは日本でLock Danceが広まった理由を読んで欲しいのですが、簡単に解説すると株式会社ニコニコ堂(スーパーマーケット)のお偉いさんがディスコ好きで、金に物を言わせて日本に呼んだって感じです(笑)

そこでSomething Specialのショーを観て影響を受けたのが、BeBopCrewのYoshibowでした。

Something Specialのショーを観て涙を流したそうで、このソウルフルでブラックテイストのかっこいい踊りをするといって結成したのがBeBopCrewです

日本でストリートダンスを広めた伝説的なBeBopCrewもソウルトレインの影響を受けているのです。

Soul Trainに出演した有名人

ソウルトレインは35年間放送していたので多くのアーティストが出演しています。(詳しくは英語版ですがWikiに記載があります)

番組は35年で1117回放送され、延べ1000組以上のアーティストが出演しています。

ジェームスブラウン、マイケルジャクソン、スティービーワンダーなどの黒人が多かった一方で、番組の途中から白人やRockテイストのアーティストも呼ぶようになりました。

デビットボウイ、ビースティー・ボーイズ、バックストリート・ボーイズなど人種やジャンルに捉われないキャスティングを行い、Love&Peaceを体現する番組となります。

Love&Peace&Soulという言葉は番組のお別れの言葉として定着していたんだ!

Soul Trainに出演した日本人

そんな偉大なソウルトレインですが、日本人も出演をしています。

ダンサーとして初めてソウルトレインの正式メンバーになったのは、元ZOOのKAZUJJAYという人です。

彼らはLAの撮影場所に行き、ソウルトレインダンサーと友達になり、そのコネを使いオーディションを受け実力で出演を勝ち取ります。

音楽の方では、細野晴臣高橋幸宏坂本龍一から成るYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)久保田利伸だけがソウルトレインに出演しています。

かなり狭き門で日本人アーティストの出演は35年間でこの2組だけです。

以上がソウルトレインの解説でした。当時の映像を見たい方は下記DVDで見ることができますよ!

【ソウルトレインの過去の放送をまとめたDVDです。現在のように洗練されたパフォーマンスではありませんが、野生的で力強い演奏とダンスが見れる貴重なDVDとなっています。】

それでは、また次回、See you next time!!

  • この記事を書いた人

ダンスの歴史書の先生

ブラックカルチャーを心底リスペクトしダンスが好きな30代。 ダンスを知らない人にはダンスの魅力を、ダンスをしている人にはもう一段階上手くなるような情報や歴史を面白く伝えるメディアです。

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