ブラックカルチャーとは、主にアフリカンアメリカン(アフリカ系アメリカ人)が築き上げた文化のことです。
ブラックカルチャー
- ブラックミュージック(ソウル、ファンク、R&B、HipHopなど)
- ストリートカルチャー(ストリートダンス・ストリートバスケ)
- ファッション(ストリート系ファッション)
- 言葉(隠語やRapなど)
これらの文化の根底には差別を受け続けてきたアフリカンアメリカンの思想やメッセージが多く込められています。
今回はブラックカルチャーについて掘り下げ、どのように発展したのか歴史的な背景も踏まえながら解説します。
ブラックカルチャーとは?

ブラックカルチャーとは人種差別が撤廃されていなかった、1800年代から現代にかけてアフリカンアメリカン(アフリカ系アメリカ人)によって築き上げられた文化の総称です。
1800年代に黒人霊歌(黒人が歌い始めた民謡)、労働歌(働く時に口ずさむ歌、日本ではソーラン節などが該当)が起源となったブルースがブラックカルチャーの起源と言われています。
その後ゴスペルやR&Bに派生し、様々なブラックカルチャーが生まれます。
①BluesのBlueは青の意味だけでなく、悲しみ・憂鬱・恋の喜び・セクシャル・時事問題・白人社会・人種差別などあらゆる感情を表現しています。
②アフリカ系アメリカ人は教会へ入ることも禁止されていたので、独自の集会を開き礼拝を行なっていました。そこで生まれたのがゴスペルです。同じキリスト教なのにどこか雰囲気が違うのは黒人独自の文化が反映されたためです。
ブラックカルチャー起源の音楽
ポイント
- Blues(ブルース)
- Gospel(ゴスペル)
- Jazz(ジャズ)
- Soul(ソウル)
- Funk(ファンク)
- R&B(アールアンドビー)
- HipHop(ヒップホップ)
諸説ありますがROCKも黒人ルーツと考える人もいます。
いずれにせよ、ブラックカルチャーが世の中に与えた影響は計り知れません。
彼らがいなければ、今の音楽シーン・ダンスシーンは無かったことでしょう。
本当に偉大な文化なんだよね!
ブラックカルチャーが生んだもの
ブラックカルチャーが生み出したものは音楽だけではありません。
ブラックカルチャーが生んだもの
- Soul Train(黒人のための音楽ダンス番組)
- HipHop(DJ・B-boy・MC・ART)
- ストリートバスケ
ブラックカルチャーは音楽だけでなく、多くのストリートカルチャーを生みました。
当時のアメリカで黒人が成功するには、
- NBA選手になる
- HipHopで大成する
- ギャングになる
この3つしか選択肢が無かったと言われています。
その為多くの黒人が非行に走らないようにストリートカルチャーが支えとなり、彼らを助けたように思います。
また、当時のグラフィティーアートをよくよく観察すると、『俺たちはここにいるんだぜ』『俺たちをみてくれ』のようなメッセージが伝わってきます。
落書きと揶揄されますが、黒人たちが虐げられてきた歴史を考えると何とも切ない気持ちになります。


黒人歴史を知る
ブラックカルチャーについて理解を進める上で、知っておかなければならないのが黒人の歴史です。
元々アフリカ大陸に住んでいた黒人たちは、15世紀頃から西欧が発展するにつれて、奴隷として連れて来られました。
彼らはプランテーションと呼ばれる大規模農園で過酷な労働を強いられ、過労死する人や栄養失調で亡くなる者、時には暴力を受けて亡くなる人が出ました。
そんな悲しい歴史が続く中、1861年アメリカで南北戦争が勃発します。
工業化が進み奴隷解放を支持している北部(アメリカ合衆国)VS黒人奴隷を使った農業を支持する南部(アメリカ連合国)
アメリカを二分する戦争が起き、アメリカ史上最大の死者数を出す悲惨な戦争です。
1862年、リンカーン大統領が奴隷解放宣言を発表、1865年に北部軍の勝利という形で幕を下ろします。
北部軍が南部を統治するようになり、黒人に参政権が付与されたり改善の兆しが見えますが、1877年以降再び白人が主導権を取り戻し、ジム・クロウ法と呼ばれる黒人差別の法律が制定されます。(この法律は南部の州が制定し、1964年まで続きます)
結果的に黒人たちは差別された生活から抜け出すことができずに、再び奴隷のような扱いを受けることとなります。
アメリカ南部では黒人労働による農業が経済の基礎だったため、「黒人が白人と平等になっては困る」という層が一定数存在していました。
その後も黒人差別は無くなることなく、「血の一滴のルール」と言われる"一滴でもアフリカ系の血が混じっている者を全て黒人とみなす規則や習慣"が根強く残りました。
南北戦争からおよそ100年後の1950年代〜1960年代、差別が根強く残るアメリカ社会で、1つの事件が起きます。
モンゴメリー・バス・ボイコット事件
1955年アラバマ州モンゴメリーで、黒人女性のローザ・パークスが公営バスの「黒人専用席」に座っていたにもかかわらず席のない白人が席を譲るように促したが譲らなかったため運転手に譲るように言ってくれと頼み、白人の運転手のジェイムズ・ブレイクが白人客に席を譲るよう命じたが、パークスがこれを拒否したため、「人種分離法」違反で警察官に逮捕され投獄、後にモンゴメリー市役所内の州簡易裁判所で罰金刑を宣告される事件が起きた。
アフリカ系アメリカ人公民権運動
この事件を皮切りに、アメリカの各地で公民権運動(公民権の適用と人種差別の解消を求めた運動)が起こります。
『I have a dream』で有名なキング牧師やマルコムXらが、この運動の指揮をとり黒人の自由の扉を開く為に尽力します。

マルコムX、キング牧師は暗殺され、当時の大統領であったジョンFケネディ大統領も暗殺され、同時期にベトナム戦争も起き、アメリカはかつてない混乱の中にありました。
多くの犠牲者を出しながらも、1964年公民権法が成立し、200年以上続いたアメリカの黒人差別に終止符が打たれることとなりました。
生まれながらに不遇で、『自由になりたい、自分を表現したい、何とかこの暮らしから脱出したい』という黒人の強い思いが、数多くの文化を生み出したのだと思います。
我々はその歴史を理解し、リスペクトしなければなりません。
ブラックカルチャー豆知識

歴史の解説が長くなったので、ここからはブラックカルチャーの豆知識をいくつか紹介します。
ダボダボのファッションの理由
よくHipHop系の人がダボダボの洋服を着ていますが実はしっかりと意味があります。
オーバーサイズ文化なんて言ったりしますが、シンプルに洋服を買うお金が無かったからです。
ストリート系のファッションが流行った1970年代のニューヨークブロンクス地区は、非常に貧しく荒んだ街でした。
アフリカンアメリカンの黒人達も当然貧しく、日々の暮らしで精一杯でした。
子供たちに洋服を買い与える余裕がなく、体がすぐ大きくなることから『あらかじめ3サイズ程大きな服を買い与えていた』ことがダボダボの洋服を着るようになった理由です。
現在では、『ダンスが大きく見える、かっこいい』みたいな意味合いもありますが、ルーツを辿ると洋服を頻繁に買う余裕が無かったという黒人の生活事情があったのです。
洋服の着こなし
ストリートカルチャーはアフリカバンバータが提唱した『暴力ではなくダンスで戦おう』が根底にあります。
洋服の着こなしにそのメッセージが現れていて、下の画像のようにズボンの裾を上げるのは銃やナイフを持っていないことのアピールです。

黒人ラッパーが被っているやつ

LL COOL Jも被っているこの白いやつ。
ドゥーラグ(DU-RAG)と言って、元々は髪の毛にウェーブ(クセのようなもの)をつけるのが目的で1800年代の黒人女性が被っていたとされています。
それがいつしか、ファッション性の高いアイテムへと昇華し、HipHop系のアーティストや、ストリートダンサーに親しまれるようになりました。
ベースボールキャップのシールを剥がない理由
NEW ERAのベースボールキャップもHipHopの定番アイテムですよね。
Limp Bizkit(リンプ・ビズキット)とDr.Dre(ドクター・ドレー)がPVで被って流行らせたと言われていますが、なぜシールを剥がないのでしょうか?
先ほどのオーバーサイズ文化と似ているのですが、理由は貧困にあります。
貧困家庭で育った黒人は、新品を購入したり本物のNEW ERAの帽子を買うことができませんでした。
そのため『新品や本物を購入すること=成功者の証』のようなステータスが生まれ、新品・本物だというアピールのために購入したままの状態を維持するようになりました。
だからNEW ERAのキャップのシールを剥がずに新品の状態を維持しているのです。
これは帽子だけでなくスニーカーも同様です。
スニーカーを常に綺麗に履くことで新品アピールをして、成功者のフリをする人が増えました。
非常に面白いですよね。
ストリート系のファッションには全て意味があり、当時の人の思いが込められています。
ブラックカルチャーをリスペクトし、意味を理解して楽しむのも一興です。
それでは、See you next time!!