ストリートダンスとは、その名の通りストリートで踊るダンスのことです。
発祥については諸説ありますが、1960年代のアメリカで進化を遂げた説が有力と考えられています。
アメリカで根強い差別や偏見に苦しめられていた黒人が、自分達の楽しみや自由な表現の一環として、音楽を身体で表現したのが始まりとされています。
現在でも新しいジャンルのダンスが生まれたり、時代の進化や音楽の多様性と共に変化を続けています。
ストリートダンスの種類
- Lock Dance(ロックダンス)
- Pop Dance(ポップダンス)
- Break Dance(ブレイクダンス)
- Wacck Dance(ワックダンス)
- HioHop Dance(ヒップホップダンス)
- House Dance(ハウスダンス)
- Jazz Dance(ジャズダンス)
他にも細いジャンルのダンスはありますが、大まかにこのように分類されます。
ストリートダンスはざっくりHipHop要素の入ったダンスと覚えてもらっても大丈夫です。
JAZZはバレエやサルサなどと同様にアカデミックダンスに分類されることがあり、ストリートダンスに含まない考え方もあります。
今回はストリートダンスがどのように日本で浸透したのか、日本のストリートダンスの歴史についてどこよりも詳しくお伝えします。
日本のストリートダンス黎明期1960年代〜1970年代
ストリートダンス文化が入ってくる前に、日本ではディスコが流行します。
1960年代初頭、渋谷に「クレイジースポット」新宿に「ジ・アザー」などのディスコがオープンし、これらのお店がディスコの先駆者と言われその後全国に普及します。
現在のクラブのようにどんちゃん騒ぎをするような感じではなく、音楽を流して軽く踊ったり呑んだり話したりって感じだったようです。
草分け的なゴーゴー喫茶
ゴーゴー喫茶はディスコブームから数年後の1965年頃から1970年代前半にかけてディスコから派生し流行した喫茶店です。
喫茶店と言っていますが実態としてはクラブですね。
こちらはゴーゴー喫茶。昭和44年(1969年)。場所は分かりません。
お立ち台の上で踊っているミニスカートの女性が、いわゆる「ゴーゴーガール」ですね。 pic.twitter.com/Flz9OaoKd6— 戦前~戦後のレトロ写真 (@oldpicture1900) September 22, 2019
上記ツイートの写真のように完全にクラブになっています。
ゴーゴーとはアメリカで誕生した音楽のジャンルのことで、パーカションを多用し同じビートを延々と奏でる音楽のこと!
クラブのルーツがゴーゴー喫茶と言っても過言ではありませんね。
ゴーゴー喫茶はバンドの生演奏を行ったり、照明を鮮やかにしたり、蛍光塗料やブラックライト、ミラーボールを使用し今のクラブの原型を作り上げました。
お立ち台で踊るミニスカート姿のゴーゴーガールが特徴で、ゴーゴー喫茶=男女の出会いの場となりました。
日本初のストリートダンスチーム
日本初のストリートダンスを語る上で欠かすことのできない人物が江守 藹(えもりあい)さんです。
彼は1973年に日本で初めて結成されるストリートダンスチーム「ネッシーギャング」のリーダーとして活躍し、ブラックカルチャーを日本に広めることに寄与した人物でもあります。
当時人気のあったファンクバンドKool & the Gangが日本に来日。これが、日本初のダンスチームが結成されるキッカケとなったのだ。
「プロモーションの一環として、ともにステージに立つダンサーが必要と要請され、“ネッシー・ギャング”を結成したんです。これが日本最初のプロ・ダンスチームですね。でも、この“ネッシー・ギャング”はKool & the Gangのコンサートのためだけに結成したので、その後は活動しませんでしたけどね(笑)」。
江守 藹の ROOTS OF CULTURE ~日本のストリートダンス史~
1973年に結成されたネッシーギャングはその後の活動はなかったのですが、間違いなく日本のストリートダンス史に名前を刻んだチームです。
当時の日本はダンスのジャンルの概念がなく、アメリカで放送されていたソウルトレインの見様見真似をしていたそうです。
アメリカではLockin'のジャンルはあったようですが...
Soul Train(ソウルトレイン)とは1971年から2006年までアメリカで放送されていた黒人による黒人の為の音楽とダンスの番組です。
この番組がストリートダンスやHipHop、音楽に与えた影響は絶大です。詳しくはこちら
日本でストリートダンスを広めた立役者
1973年に日本初のストリートダンスチーム「ネッシーギャング」が設立されたものの、一般的に普及したのはまだまだ後です。
1980年代に入り、日本のストリートダンスは福岡でその夜明けを迎えます。
BeBopCrewとIMPERIAL JB'sという伝説的なチームが誕生したためです。
色々な奇跡が起きて福岡でダンスが発展するのですが、
福岡での奇跡
- ニコニコ堂という会社がソウルトレインダンサーを福岡に招待していた
- The LockersのTony GoGoが福岡に移り住んだ
この2つの出来事が要因です。
詳しくはこちらを参照してください。
テディ団... 彼は1978年「第一回世界ディスコダンスコンテスト」に出場し優勝しています。
関西地区では彼がダンス普及に尽力しています。
BeBopCrew
BeBopCrewは1982年に福岡県で結成されたストリートダンスチームです。
彼らが日本にストリートダンスを普及させたチームと言ってもいいでしょう。それくらい影響力の大きいチームで、未だに最前線で活躍しているレジェンド的なチームです。
Locking’に目が行きがちですが、昔はOld Schoolを躍らせたら敵なし状態のチームでした。
福岡がダンスのメッカと言われるのは彼らの功績があるからでしょう。
BeBopCrewの詳細はこちら
IMPERIAL JB’s
BeBopCrewと時を同じくして福岡に誕生したのがIMPERIAL JB'sです。
リーダーの長谷川 三枝子さんとGajilowさんがチームの中心として活躍しており、ダンス甲子園で一気に知名度が上がり、メジャーデビューも果たしました。
BeBopCrewと切磋琢磨し、日本のダンスのレベル向上に寄与した、こちらも伝説的なチームです。
残念ながらリーダーの長谷川 三枝子さんは2021年にお亡くなりになっています。
彼女のダンスの意志は若い人に受け継がれ未来永劫残ることと思います。
ストリートダンスが広まったきっかけ
アメリカではソウルトレインがテレビで放送されており、ストリートダンスやブラックカルチャーは広く一般に普及していました。
一方で、日本やその他の諸外国ではストリートダンスの知名度はかなり低く、競技人口もほぼゼロの状態でした。
そんなストリートダンス界隈に衝撃が走ったのが1983年のことです。
映画「フラッシュダンス」が公開され、その中のわずか2分程のブレイクダンスシーンが世界を変えました。
出演していたのは世界を代表するブレイクダンスチームRock Steady Crewです。
これが日本や世界でストリートダンスが普及した最大の理由なのです。
各時代を盛り上げた有名なダンサーやパフォーマー
ダンスの歴史書編集長が独断と偏見で各年代を盛り上げたダンサーをご紹介します!
1980年代 Be Bop Crew
Yoshibow、Seiji、Rickyらが中心となって福岡の博多で結成されたダンスチームです。
1980年代にこのチームが結成されていなければ、日本のストリートダンスシーンはこれほどまでに発展していなかったでしょう。
日本のストリートダンスの礎を築いたチームですね。
BeBopCrewの詳細はこちら
1990年代 LL Brothers
天才・たけしの元気が出るテレビ!!の中の「高校生制服対抗ダンス甲子園」で人気を博し、ストリートダンスブームの一端を担ったユニットです。
1991年『L.L BROTHERSのテーマ』でCDデビューも果たしており、現在は楽曲提供なども行なっています。
個人的に、EXILE Atsushiが在籍していた時のcolorのGoodbye My Loveがめちゃくちゃかっこいいです。
1990年代 ZOO
今でこそ歌とダンスのパフォーマンスって当たり前ですが、ZOOが先駆者ではないでしょうか?
メンバーはEXILEのHIROさんやTRFのYU-KIさんが目立ちますが、ストリート界隈からもすごいメンバーが参戦しています。
例えば、DA PUMPやBoAの指導やソウルトレインの出演などを果たしたKAZU、LUKE、プロデューサーには日本の初代B -boyのCrazy-Aが参戦しています。
ここからJ.S.BやEXILEに派生していくのですから、一時代を築いた人達と言っても過言ではありません。
2000年代 DA PUMP
DA PUMPは今までの歌手やアイドルとは一線を画していました。
何と言っても振り付けや歌がアンダーグラウンド的で、ストリートから出てきた本格派グループというイメージを世の中に与えました。
また、スーパーチャンプルというダンス番組に出演し、ストリートダンスを日本中に普及させました。
この功績は非常に大きく、チャンプルを観てダンスを始めた人が増え日本のレベルの底上げを担ったと言ってもいいでしょう。
2010年代 Electric Trouble
Electric Troubleも日本のストリートダンスを牽引してきたチームです。
HipHopの音ハメのオリジネーターで、何を踊らせても上手いチームですね。
JAPAN DANCE DELIGHTで2度の優勝に輝き、WRECKING CREW ORCHESTRAでは世界に羽ばたき活躍をしています。
詳しくはこちら
2010年代 B-boy Taisuke
日本人はダンスのソロバトルでは誰も勝てないと言われていた時代がありました。
それをぶっ壊したのがB-boy Taisukeです。
しかも、最も難しいと言われていたBreakin'でそれをやってのけたのです。
2008年RedBull BC ONEで準優勝(同時17歳)、これを皮切りに数々の世界大会で好成績を残し、日本人の限界を壊してくれました。
まとめ
日本のストリートダンスの歴史についてまとめてみました。
記載したどのピースが欠けていても今のダンスシーンの盛り上がりはなかったように思います。
歴史を知ることで、自分のパフォーマンスに深みが出てより良いダンスができるようになるはずです。
先人のダンサーに思いを馳せ、知識もゲットしていきましょう。
それでは、See you next time!!